アカシャ光の叡智

ゲリー・ボーネル氏の
「ビュイック・ドライバー 新次元の叡智」
過去記事「新次元の叡智 その1〜6」

の続編にあたる「アカシャ光の叡智」を読みました。

今回も500ページ弱の厚さでした。
ストーリーは前作からの続きです。

今回のストーリで一番の山は、
ビュイック・ドライバーと呼んでいる
継父との対決です。

いつも酔っ払いで、機嫌が悪いと文句を言われ、
殴られる恐怖の存在。

しかし、恐怖の継父の存在自体も、
ゲリーが自分自身で創り出しているものである
ということです。

そして継父と喧嘩状態となり、力の弱いゲリーは、
見えないものからの声により継父と勝つことが出来ました。

それ以降、ゲリーの継父に対する想いが変わりました。

継父がいるから、
自分が不安や恐怖の感情になると思われますが、
実際は自分の中にそのような想いがあるのが
原因ということです。

光の存在イーライが、異なる惑星で1年間、
その惑星の生き物として物理経験をしに行きます。

地球時間は1年間ですが、
その星の生き物では一生の長さになります。

他の惑星でも生き物がいる
ということを書いています。

最後は、実父との対面を目指します。
幽体離脱した霊体で実父へ手紙を届けるところで終わってます。

続きを読まなくてはいけませんね。

参考記事:
 過去記事「超入門アカシックレコード」

[叡智] ブログ村キーワード

アカシャ光の叡智 (超知ライブラリー)
ゲリー ボーネル よしもとばなな序文
徳間書店
売り上げランキング: 102,668

新次元の叡智 その6

ゲリー・ボーネル氏の
「ビュイック・ドライバー 新次元の叡智」を読みました。

これから幸せに生きていくために役立つ内容を
ポイントで記載します。

過去記事「新次元の叡智 その5」からの続きです。

太文字は書籍の引用、
青文字はゲリー、黒文字はイーライの言葉、

(コメント)は私的意見です。

目の前に現れたのは、僕(ゲリー)の本物の体と同じくらいの大きさの、
小さな男の子だった。

彼から出ている光はメチャクチャで、まるで誰かが、
彼の上に様々な色のクレヨンで落書きでもしたかのようだった。

顔は暗い赤茶色で、目はどんよりとして落ちくぼんでいた。
彼は口を尖らせ、背を丸め、怯えていた。

まるで誰かを傷つけたくて、その誰かを探しているかのように、
首を休みなく動かしつづけてもいた。

まるで小さなビュイックドライバー(継父)じゃないか。
これ、ほんとに僕から出ているの? イーライ。

まさしく。そうなのだよ。
君が今、目の当たりにしているものは、
君の苦悩、悲しみ、拒絶感、屈辱感などの集合体なんだ。

この映像はまた、君の自己批判、
内なる「神の自己」に背いているという罪の意識、の表れでもある。

哀れんだところで何も起こらない。
君の内側を愛と理解で満たしてごらん。

僕は目を閉じ、自分の人生内にある好きなものを思い描いた。
僕が今感じているのと同じくらい、幸せになってほしい。
僕は心からそう願い、そのフィーリングを彼に送り込んだ。

するとまず、彼の映像は少し明るくなった。
しかしすぐに、前よりも暗くなった。
彼の怒りのレベルが上昇する。
うめき声もひどくなる。
目は真っ赤で、顔の皮膚には血が滲み、膿まで出はじめていた。

君の暗黒面は、君の哀れみを得たところでどうにもならない。
それは君の「理解」をほしがっているんだ。
君が彼を理解しようとしなければ、
彼ばかりか君自身も、決して自由になれないのだよ。

彼、ひどい病気にかかって、気分が滅入っているときみたいな、
そんな状態に陥ってるような気がしたんだ。

だから僕、彼にしあわせてなってほしくて、
自分のうれしいフィーリングを送ってやったんだけど。
それじゃだめなわけ?

君が今したことは、彼に変わってほしいという、
君の願いを伝えることだった。
言い換えるなら、君は今、彼に変わるよう求めたわけだよね。

そして、彼に変わるように求めたということは、
彼の存在価値を認めないと宣言したようなものなんだ。

彼が、君という存在の現実的な一部であることは、
わかっているよね?

でも君は、これまで、自分のその一部が必要としているもの、
ほしがっているものを、理解してこなかった。

もしも君が、これからも彼に変わるよう求めたとしたら、保証する。

彼はまず間違いなく、さっきのように、
同じことをされたらほとんどの人間が示してくるのと同じ反応、
怒り、ばかりを示してくるだろう。

完全性を目指す。意識的に生きる。
まっすぐに生きる。
自分の信念に従う勇気を持つ。
人生を理解とともに眺める。

これらのことを心がけていれば、
そのうち必ず、また顔を合わせることになる。

他人の中の光と闇の多様性を、裁こうとする意識を持たずに、
暖かく抱きしめることができているとき、
君は自分の二元性をも同じように抱きしめることができていて、
明らかに統合への入口に立っている。

(必ず、自分の中にも闇が存在している。
 それを変えよう、無くそうとするのではなく、
 理解することが大切である。)

君が発する言葉の一つひとつが、君の心身と霊、
そしてあらゆる現実に、大きな影響を及ぼすのだよ。

君が発する音、あるいは言葉のすべてが、
宇宙の創造システム内に新しい波を作り出すんだ。

言葉とハートが分離しているときには、
言葉が現実になるのを見るまでに、ある程度の時間がかかるけどね。

でも、統合が君の現実になったなら、君の言葉、思考と、
それに付随したハートの活動、フィーリングとの間の隙間は、
ほとんど目立たなくなる。

その状況において、欲望は存在していない。
そのときそれは、知っている状態、すでに在る状態、
によって置き換えられている。

(統合が現実となったら、発した言葉が宇宙創造システムに影響を与え、
 すでに在る状態となる。)

新次元の叡智

もしも君が、誰か、あるいは何かに変わるよう求めたとしたら、
そのとき君は、その誰か、あるいは何かを見ていることは、
完全性の体験からはほど遠い、と宣言していることになる。
しかしその姿勢は、改めなくてはならない。

現時点において、
人類意識は外側の世界の中で完全性を見出そうとしている。
しかし完全性は、内側からやってくるものなんだ。

もしもある人々が、外側の世界の中で不完全性を体験しているとしたら、
それは明らかに、彼らの内側にある不完全性の現れなのだよ。

もしも彼らの周りの世界が、完全、完璧であったとしたら、
それは、彼らの内側が完全であり完璧であるからなんだね。
これ以外のことはありえない。

僕は今、ビュイックドライバー(継父)に変わってほしいって思ってるけど、
それは、僕が内側で完全じゃないからなわけね?

まさしく、その通り。

それじゃ、もし僕が内側で完全になったとしたら、
ビュイックドライバーはどうなるんだろう?
そうなっても彼、僕やほかのみんなをいじめたがるのかな?

完全に至る過程で、君は継父の侮辱に対して免疫になるはずだ。
ほかの人たちのことは、他の人たちの問題。
君と継父と彼らとの間の力学は、彼らにしか変えられない。

僕はどうやったら完全になれるの?

自分の意識と周囲の世界がどのような関係にあるのかを理解し、
その理解のもとで、完全性の通じる選択を行いつづけることによって。

完全性への道は、狭いが複雑ではない。
なぜならば、その道を歩みつづけられる旅人は、
選択という幻想を超越していて、「無選択」状態の中に存在しているから。

真実のみを選択しているとき、
ほかの選択肢は存在しないも同じことなのだよ。

この狭い道を歩くことは困難であり、多くの努力を必要とする。
なぜならば、イドが、エゴと協調して、「即座の満足」を追い求めるから。

人類が慣れ親しんできた、この「すぐに得られる喜び」は、
完全性への狭い道の上では見つけられない。

というもの、この道はそもそも、自己の外側にあるものを求める願望が、
入り込めない場所なんだ。

イドとは、誕生後に最初に発達する心の一側面のこと。
赤ん坊たちは、面倒を見てもらうこと以外のことには、
ほとんど関心がない。
幼い子どもたちは、自分の行動を他人がどのように見ようと、
まったく気にしない。

イドとは、最初に発達するもので、
それは自分が満足することだけに集中している。

イドは、社会秩序を通じて他人と関わることには、
ほとんど関心を持っていない。

子どもはこのステージにおいて、完全に自己中心的で、
他人への持続的な関心はほとんど抱かない。
もちろん、自身の満足欲求を満たしてくれる人は除いてだけどね。

基本的には、内なる葛藤によって、
自身のニーズと社会秩序間のバランスを取ることによって。
試行錯誤によって。

子どもの心は、まずは成功パターンを見つけ出し、
つづいてそれを繰り返そうとする。

そうやって、自分に好都合なことを、現実化しようとする。
かくして、エゴが発達する。

ハート・潜在意識・リビドーの無限の思いやりが、
顕在意識・エゴの知的考察と合流したとき、
完全性が知恵として体験され、狂気は癒やされる。

その知恵は、どんなときにも、統合の維持に貢献することだけを行う。

そしてそれは、社会意識・集合意識が正しいと思っていることとは、
必ずしも一致しない。
多くの真の教師たちが、反社会的あるいは異常に見えるのは、
このためなのだよ。

(変わって欲しいと思っているのは、自分の内側が完全ではないからである。
 完全性については、もっと長く複雑な説明となっています。
 真実のみを見つめていれば、迷う余地のない無選択状態となり、
 その道を進んでいけばよいということでしょうか。)

[ゲリー・ボーネル] ブログ村キーワード

ビュイック・ドライバー—新次元の叡智 (超知ライブラリー)
ゲリー ボーネル
徳間書店
売り上げランキング: 55,269

新次元の叡智 その5

ゲリー・ボーネル氏の
「ビュイック・ドライバー 新次元の叡智」を読みました。

これから幸せに生きていくために役立つ内容を
ポイントで記載します。

過去記事「新次元の叡智 その4」からの続きです。

太文字は書籍の引用、
(コメント)は私的意見です。

アルコール依存症患者たちの遺伝子構造内にある特殊な形質は、
彼らという存在の中に、ある「雰囲気」を創造する。
そしてその雰囲気は、激しい虚しさとして体験される。

このタイプの虚しさは、きわめて拡散的で、肉体にも感情体にも、
知性体にも霊体にも影響を及ぼすことになる。

体験された虚しさは、「不足している」という雰囲気を創造し、
それが劣等のフィーリングをもたらすことになる。
そしてそれが、個人を、
完全ではないというフィーリングとともに、
寒々とした孤独な状態へと追いやることになる。

依存的行動パターンのすべてが、
体のどれかの中で感じられている虚空を満たそうとする試み、
つまり完全性を達成しようとする試みなのだよ。

そして、虚しさのフィーリングは、
必ずしも遺伝子構造の結果であるとは限らない。

食欲異常や性的障害、病的執念、行動的破壊性などの
多くの依存症が、感情体や知性体の中で発生する。
虚しさは三つの体のどれからも発生しうるものなんだね。

(虚しさの体験により、不足を創造し劣等の感情をもたらす。
 虚空を満たそう、完全性を達成しようとする試みから、
 依存的行動が発生する。)

霊体ばかりでなく、どんな体も、病気を作りはしない。
病気は、特定の体が体験している虚空。
すなわち、エネルギーの流れが途絶えていることの結果なんだ。

言い換えるなら、特定の体の、
完全な状態になろうとする欲求、
エネルギーを滑らかに流そうとする欲求なのだよ。

現代医学にできることは、物質レベルの治療を施すことにより、
病気が真に癒やされるまでの間、
体を生かしておくことでしかない。

それは単に病気を隠すことにすぎず、決して癒やすことではない。
症状は治まっても、病気は持続する。

もしも肉体、感情体、知性体、あるいは霊体の中のどこかで、
生命力の流れが途絶していたとしたら、
その虚空、あるいは障害は、
体の内側から取り除かれなくてはならない。

(病気はエネルギーの流れが途絶えているということ。
 エネルギーを滑らかに流そうとする欲求であるということ。
 現代医学は症状を治せても病気は治せない。
 病気となる虚空、障害は、
 体の内側から取り除かなくてはならない。)

虚空って、どんなふうに感じられるの?

それは、人間というシステムの中で、
激しい失望、あるいは絶望として体験される。
あらゆる致命的な病気が、虚空、
すなわち圧倒的な絶望のフィーリングから成長する。

虚空はどうしたら癒やすことができるの?

私は今、君がこうやって私と言葉を交わしながら、
完璧に「現在」にいることを知っている。
それで今、君はどう感じているのかな?

幸せかな?

だろう?
完全に「今」の瞬間の中にいる。
幸せへの道が、今、漏らされた。

ほとんどの人間は、日常の中で、
現在の中にいようすることにあまり意欲的ではない。
その結果、彼らの大多数は、まさしく不幸せに生きている。

(「今」の瞬間こそが、幸せを感じることができる。)

新次元の叡智

霊体は、その内側に、
あらゆる状況を変化させる能力を宿している。
それこそが、癒やしを行うものなのだよ。

ほぼ常に虚空を体験している体が、肉体なんだよね。
肉体はまた、残念なことに、
救済は外側の何かによってなされていると
教えられてきた体でもある。

それでもその肉体は、深いところでは、
それ自身が外側からは癒やされないことを知っている。

だから、致命的な病気にかかった肉体は、
ほかの体のその虚空、つまり病気から守るべく、
死ぬことを選択する。

標準的な人間にとって、
自分の欠点を認めることは屈辱的なことなんだね。

人間たちは、彼らの病気を自分の不手際、
あるいは外側の神による仕置として見ていて、
その見方を通じて、病気を悪化させてさえいる。

もしも人間たちが、
「神は内側に存在する無限の源で、
果てしなくわき出る泉のようなものであり、
その水には、生命を永遠に体験するために必要なものが
すべて含まれている」
と教えられてきたとしたら、
彼らにとって病気は、
記憶の中にしか存在しないものになっていたはずだ。

(霊体こそが、癒やしを行うもの。
 肉体が常に虚空を体験している。
 外側から癒やされないことを知っていても、
 外側から救済されると教えられてきた。

 神は内側に存在する無限の源と教えられていたら、
 病気は存在しないものとなっていたはず。)

個人が内側に入っていき、
自身の「神の自己」または「源」に、
健康と理解の光で満たしてくれるよう願い出たならば、

そのときには恩寵のマントが、霊体から知性体へ、
つづいて感情体を通じて肉体へと移動することになる。

その結果、肉体は
「神の恩寵」に包まれた「無選択」の状態になり、
虚空あるいは障害をもはや体験しなくなる。

完全性が実現し、そのときその体は生まれ変わっている、
つまり、新しい命を与えられている。

(自身の「神の自己」に願えば、虚空、障害は体験しなくなる。)

内なる「神の自己」がもたらす真実を
誰もが知るようになったとしたら、
人々の代わりに外側の神と語る「教会」が必要とされる理由など、
どこにも存在しなくなる。

知性はときおり、
ハートが知覚することを理解できないことがある。
しかし、我々が自分の「神の自己」を知るのは、
ハートを通してなのだよ。

自転車の乗り方。
僕はそれをハートで知っている。
それについて僕は考える必要がない。
ただ乗って、走らせるだけ。
それから、絵の描き方もハートで知っている。
誰に教わったことがない。
ただ描くだけ。
それから、そうだ、自分の部屋もハートで知っている。
真っ暗なときでも、何にもぶつからないで歩き回れるし。

君という存在の中心部には、
君の「究極的な自己の意識」が存在している。

この意識は、
君という存在の「観察者」であり、真実を常に知っている。

なぜかというと、それ自身が真実だから。
私の言うハートとは、この究極的な自己の意識のこと。

この観察者が君の人間体験の一部となるべく招かれたとき、
それは「天才」と呼ばれる。
天才とは、真の自分自身であること。

一瞬一瞬を充分に生きることと、
善悪の固定観念を捨て去ることによって。
そのときから君は、君自身の真の目的に従って生きはじめる。

(ハートとは、「究極的な自己の意識」。
 この意識は真実を知っており、
 この意識が人間体験の一部として招かれると
 「天才」と呼ばれる。)

「新次元の叡智 その6」へ続く

[ゲリー・ボーネル] ブログ村キーワード

ビュイック・ドライバー—新次元の叡智 (超知ライブラリー)
ゲリー ボーネル
徳間書店
売り上げランキング: 55,269